
伊是名、伊平屋は旧王朝時代は王府直轄の地であったがために、年貢のとり立て、圧政に苦しめられたとかのことがなく、したがって、よそさまを好遇する「イヒヤズーテー」の言葉に見るとおり、圧政に抵抗し悲哀を託した歌は皆無、悲しき恋歌など比較的少ない。このことは、村民性の大らかさと言おうか、馬鹿正直と言おうか。
次に、古歌としての代表的なものを紹介しよう。
●凪りぬ伊平屋岳や 浮ちやがてど見ゆる 遊で浮ちやがゆる 我玉黄金
(尚円金丸の生い立ちを讃えたもの)
●いひやぬあんがなし 童あんがなし いちやし七離れうかきみせが
(あんがなしの苦労の程を歌ったもの)
●いひや渡立つ波に 夢や橋かきて 夜々に思女うすば 渡ていちゅさ
(仲村渠マカテと松金の恋物語り)
●百しじぬはんた うさんしち見りば 北ぬ松金が 手振りちゅらさ
(女童たちの松金に対する思慕)
●通水ぬ道や ひちゅい越いらゝぬ 乗馬と鞍と 主と三人
(琉球古典、通水節の本歌。島の東西を結ぶ通水山中の険阻な山路を歌ったもの)
●遊び諸見仲田 花や真勢理客 仲里ぬ後や ういちえどころ
●仲田仲里や 花ぬ元でむぬ 咲き出らば一枝 持たちたぼり
●伊是名御城ぬ 石カーぬ水や 首里やたらましか 御主に上ぎら
●仲田嫁なりば 石ぐるをくむる 伊是名嫁なりば 屋那覇漕じゅん
●勢理客ぬ嫁や ないぶさやあしが チマイ下り口ぬ 風ぬかたさ
●でかよ押し連りて いひやんかい渡ら いひやぬ米粟や 今どじぶん
●仲村渠マカテ 七ひじち布や いひやぬ松金が 遊び手さじ
●北の松金が ひちやる三味線や カラクイや銀 弦や唐弦
●北の松金が 短ちゃ御衣召しょち おじゃんなし振りや 拝み欲しゃぬ
●命果報願や 岩の身のごとに 首里おえかい願は げらい座敷
(北の松金)
●聞きば仲里や 花のもとでむぬ 咲ち出りば一枝 持たちたぼり
●伊是名玉御殿 七ち橋かけて あれつけい見りば すぞやあらに
●東にんざみや ちんしわい所 西のうふぎたや 畳むしる
●捨てる身が命 露ほどん思ん 明日や母親ぬ 泣ちゆらとめば
(本伊平屋節)